石垣島の史跡案内 冨崎観音堂

石垣島の史跡案内 冨崎観音堂

こんにちは、Fuyuです。住まいの近所のお寺をご紹介します。気持ちのいいお寺です。

冨崎観音堂

島の人たちが、お正月に初詣をするというお寺に行ってきました。

フサキビーチリゾートの南、「唐人の墓」の少し東にあります。

入り口わきには駐車のできそうなスペースが数台分あります。石碑が目印です。

参道

うっそうと茂った深い森の中にお寺があるようです。入り口にまず大きな灯篭。それ以降たくさんの灯篭が参道の両側に並びます。暗いお寺はちょっと好きじゃないなと思いながら進んでいくと、参道は実はすごく明るくて、両側にはいろいろの花が咲き、とても華やかでした。そして、とてもきれいに掃き清められています。

うかがったのは8月でした。各種ハイビスカス。ヘリコニアという花も咲いています。

きれいに整備された石畳を登っていくと、赤瓦の本堂が見えてきます。島のあちこちで見かける御嶽のお堂のようです。参道の突き当りが広場になってさらに明るくなります。小さな本堂が建っています。

お堂

本堂の正面には鈴が吊られ、五色の布が垂らしてあります。「まるで神社じゃない……」って思いながらお参りします。お堂の中には仏様の姿は見えません。普通、神社はお寺と違ってお参りする建物は拝殿で、拝殿には神様はいらっしゃいません。祝詞を上げたり、神楽を奉納したりするのが拝殿です。奥にさらに建物があって、そちらが本殿、神様のいらっしゃる所ですね。こちらのお寺も、奥に建物があります。多分そちらにご本尊がいらっしゃるのでしょう。お寺じゃなくて神様のようですね。

冨崎観音堂の近くに「唐人の墓」があり、そちらがパワースポットって言われていますが、僕にはここもパワースポットのように思えます。

お寺の由来

説明板によると、このお寺は寛保2年(1742)に役人・西表直香が航海の安全を祈願して3体の観音像を奉納し、庶民の航海安全の祈願所としたのが始まりだそうです。

西表直香が無役のころ中国福州に漂着し、そこで以前介抱したことのある中国人に再会し、守護の観音像2体を贈られました。そのころ、その妻真鶴は夫の無事を祈って美崎御嶽や権現堂に日参しており、それを知った桃林寺住職が観音像1体を真鶴に与えました。無事帰島した直香の観音像2体と真鶴の1体をあわせ、ともに自宅に安置して篤く信仰することになります。その後観音像を安置した観音堂は何回か場所を移して、1742年冨崎に移転し、1781年には瓦葺に改築しました。その後も明治から昭和にかけて改築を繰り返しました。普段はひっそりとしていますが、今も海上交通安全と無病息災の祈願所として信仰を集めています。初詣には大勢の参拝客で賑わいます。

 

ご案内

初詣のころには1日1万人は下らないという参詣客も、この日は一人もすれ違いませんでした。参道を出て県道を渡るとレストランとともにエメラルド色の海が見えます。海の先には竹富島が見え、中央には竹富港が見えています。

 

トイレなどはありません。数台ほどの駐車できるスペースはあります。初詣の季節には有料駐車場が用意されるようです。お堂までは緩い階段が続きますので、車いすでの参拝は難しそうです。

バスは、東(あずま)バス 9番 川平リゾート線 「唐人の墓」バス停下車です。1~2時間に1本の運行です。

冨崎観音堂に収められた仏様は3体だということですが、熊野三山の本地仏じゃないんでしょうか?観音堂はどう見ても神社のように見えますし、冨崎観音堂を管理しておられる桃林寺のお隣が熊野権現をお祭りしている権現堂だということもあってそんな気がします。仏様のお姿を是非見せていただきたいなと思っています。

<2021年元日>

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