石垣島の史跡案内 星見石

石垣島の史跡案内 星見石

Fuyuです。八重山地方にはあちこちに「星見石」という石が立てられています。これに興味を持ったきっかけは、宮古島の「人頭税石(にんとうぜいいし)」でした。が、どうもこれは伝承通りに、人頭税徴収の基準として使ったのではないらしいのです。しかも、同様の石が八重山地方、宮古地方のあちこちにあるらしいということもわかり、調べてみることにしました。

星見石の由来

星見石は1680年代~1690年代に、当時頭職だった宮良親雲上長重(みやらぺーちんちょうじゅう)によって村々に立てられたようです。明治の初めごろまでは使われていたそうで、波照間島は星見の先進地域だったそうです。

これらの石には2パターンあり、一つは高さ約5尺ほどの立石状で見晴らしの良い場所に立てたもの。もう一つが十二方位を刻んだ方位石状のものです。

立石状のものは、高さ150cmほどの琉球石灰岩で、しゃがんだ人が、石の先端を見上げて、そこに重なって見える星を観測したといいます。頂点に穴のあるものもあり、それは頂点の穴に竿を立てて、もう一つの低い石の頂点とを結んで、星の観測を行ったと考えられています。

観測対象は群星(むりぶしorむりかぶし・プレアデス星団)や立明星(たつあきぼし・オリオン座)で、その時の星の仰角を図り、米、粟の種播きの日取りを決めたようです。さらに時代が下って、これらは五穀豊穣を祈願する行事「種子取り(タナドゥイ)」を行う日を決めるために使われたようです。
※ 竹富島の「種子取り祭」は重要無形民俗文化財に指定されています。

星見石は、立石状のものから時代が下ると、方位石状のものに変わりました。さらに太陽暦が普及することで、種幡きの的確な時期を把握することが出来るようになったため、星見石を使った星見は廃れたようです。

石垣島の星見石

石垣島に星見石は3つ確認されています。

●登野城(とのしろ)の星見石

<北側><地図>

元の位置から移動されています。立石状のサンゴ石灰岩でできています。

元の位置は八重山農林高等学校の北、トヨタ自動車のディーラー敷地内にありました。傍に架かる橋には立石橋という名がついています。この星見石は、道路沿いにあり、いつでも見ることが出来ます。

<東側>

<西側>

<南側>

所在地は 県道87号線 離島ターミナル方向からシードー線に抜ける寸前の道路際。ダイハツディーラー店舗の北の隅にあります。今の所在地は移動されたもので、移動元は北に隣接するトヨタディーラーの駐車場中央あたりです。(ダイハツの看板のあるトヨタ店です??)

●新川(あらかわ)の星見石

「登野城の星見石」から西の方角少しのところにあります。元の位置からは少し移動されています。

●大川(おおかわ)の星見石

もともと大川村にあった星見石ですが、昭和61年(1986年)に宮良川土地改良事業の際に撤去され、石垣市教育委員会が保管しています。中央に穴があけられ、放射状に方位を示す12の溝が刻まれています。

その他の星見石

●宮古島の星見石

一つが「人頭税石」。ほかに宮古島南部の七又に「鬼の杵(ウンヌンナック)」、「神の杵(カンヌンナック)」の一対の立石、計3つの星見石と思われる石があります。

●竹富町の星見石

竹富島北部の與那国家にありましたが、昭和28年(1953年)に、「なごみの塔」の下に移設されました。星見石の下の方には東西方向の穴が開けられています。

この星見石は野尻袍影の「日本星名辞典」に「川平湾の星見石」として写真が掲載されていることが判明し、最近ちょっとした騒動を巻き起こしました。(^^)/

これを報告したのは、石垣島天文台の宮地竹史副所長です。

※ 幻の「星見石」竹富で確認 10年の“捜査”実る

●小浜島の節定め石

横長の星見石で、石の上面に、子、丑、寅…と12の穴が開いています。この石も竿を立てて風向きをはかるのに使ったという説もあります。


宮古島以西の各島には多くの星見石が残っています。まだ埋もれているのか、すでに無くなってしまったのか、少なすぎる感じがしますが、わからないことだらけです。興味がある方は調べてみてはいかがでしょうか?

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