こんにちはFuyuです。先日の冨崎観音堂からのつながりで、お隣の「唐人の墓」と「観音崎」へ行ってきました。この日はモヤっていて、今一つはっきりしない天気でした。
唐人の墓
「冨崎観音堂」のところで私は、「ここ(冨崎観音堂)はパワースポットみたいだ」って書いていますが、そのお隣の「唐人の墓」は、ネットやガイドブックのいろんなところに「パワースポットです」って書いてあります。お隣だから両方ともパワースポットなんてことはあっても不思議じゃないので、楽しみです。おまけにすぐそばの岬「観音崎」もパワースポットだっていう噂があります。パワースポットは風光明媚なところが多いので、そういう意味でもこれは正しいかもしれません。
まず、なぜここに「唐人の墓」というものがあるのか、よく知らずに来てしまいましたが、お墓の銘板にはちゃんとそのことが書かれていました。
なんと、奴隷売買で中国からアメリカに売られていく中国人たちのお話なんです。1852年、中国厦門を出港したアメリカの奴隷貿易船ロバート・バウン号に、400人の中国人が乗せられていたのですが、その中国人たちが船内での虐待に耐えかねて反乱を起こし、船長と船員たちを撲殺してしまいました。中国人たちは船を奪って台湾に向かおうとしていたところ、2月16日、観音崎すぐそばの崎枝海岸で座礁してしまいました。石垣島のお役人と住人達から救助され380人の中国人が上陸したというお話です。お墓があるというからにはそれだけで終わりません。一月後の3月16日、イギリスの艦隊2隻が石垣島に来航し、冨崎にあった中国人の収容所を砲撃しました。さらに兵士200人以上が上陸して、中国人100人を殺しました。さらに4月4日、今度はアメリカ船が来航して100人以上の兵士が上陸し、島内を探索しました。
生き延びた中国人生存者は琉球王国に保護され172人が翌年中国福州に送還されました。この間に死亡・行方不明となった中国人は128名に上ります。「唐人の墓」には、その128人の霊を祀っています。彼らを弔った古い墓が付近に散在していましたが、今はその陶製の墓碑が八重山博物館に収蔵されています。
1971年(昭和46年)寄付を募り、遺骨を集めて「唐人の墓」が建立されました。沖縄本土復帰の前年のことです。
墓標は大きくて、中国風の装飾いっぱいのカラフルな建物です。細かく見るなら1時間だって見ていられます。きっと、物語が陶器の装飾で表現されているのだと思います。
で、どこがパワースポットなんだってことですが、お墓の前に新しそうな六角堂があって、これは「宝くじ」からの寄付でできた建物です。ここがパワースポットだそうです。どうパワースポットなのかってところは、想像にお任せします。なお、島の宝くじ売り場は、大型スーパー・サンエーの中にあります。(^^♪
観音崎・琉球観音崎灯台
観音崎という名前は近くの「冨崎観音堂」からとったものです。ここからは竹富島、西表島、小浜島、名倉湾、フサキビーチなどの景色を楽しむことができます。特に夕日スポット、そしてデートスポットとして人気です。太陽が水平線に沈んでいくところをゆっくり観察できます。グリーンフラッシュも見られるかもしれません。星空スポットとしても有名です。灯台の光と満天の星を同時に味わえる珍しいスポットです。
観音崎灯台は、米軍が1953年(昭和28年)に建てたもので、その後何回も建て替えされてきました。石垣島に3つある灯台の一つです。
近くには絶景をテラスで楽しみながら食事のできるレストランがあります。そちらもお楽しみに。
海水浴だけはお勧めできません。時々大きなサメが目撃されています。
アクセス
石垣港方面から島の南端の道路を海に沿って西に向かいます。すると北向きに90°曲がるところが「観音崎」です。「観音崎」に「唐人の墓」があります。「観音崎」手前に「冨崎観音堂」があります。石垣港から約25分です。
「唐人の墓」周辺には駐車場が何か所もあり、車の駐車は楽です。「冨崎観音堂」、「観音崎」にもそれぞれ駐車場があります。
バスは、東(あずま)バス 9番 川平リゾート線 「唐人の墓」バス停下車です。1~2時間に1本の運行です。