石垣島の川平(かびら)に住んでいるFuyuです。別のブログで川平に御嶽がいっぱいあることを書いています。近くには底地ビーチというきれいな海水浴場もあって、そこにもいくつか史跡があります。そちらをご案内します。
川平湾はグラスボートが有名ですが、流れが強くサメの被害もあって、泳ぐには危険です。泳ぎたい人はこちら底地ビーチがお勧めです。
底地ビーチ(スクジビーチ)
ここは毎年、日本一早い海開きでニュースになるビーチです。3月中旬には石垣島を代表して海開きを行います。以降10月まで遊泳できます。
有名な川平湾の近くで、砂浜が1kmも続くロングビーチです。ビーチの北半分は石垣シーサイドホテルのプライベートビーチのように、そして南のほうは別の会社が管理しています。いずれも入場は無料です。監視員さんがいる数少ないビーチです。<北・地図><南・地図>
大変遠浅の浜で、小さな子ども連れでも安心して遊べます。ただし、そのせいでシュノーケリングには向きません。さらに干潮の時間帯は浅すぎて泳ぐことは出来ません。ネットなどで満潮の時間を調べて利用しましょう。(^^)/ 気象庁のサイトはこちら。
干潮でも、ヤドカリを探したり、ビーチコーミングしたり、いろんなお楽しみがあります。ビーチには広い木陰がありますので、読書や昼寝もできます。のんびり時間を過ごすには最適です。
ビーチの右手方向はマンタに会えるダイビングポイントとして有名です。ホテルのアクティビティでマンタポイント行きのシュノーケルツアーもあります。湾は西に向いて開いているので、サンセットポイントとしても親しまれています。
私はよく、夜の星空撮影のために海岸にカメラをセットして長い時間を過ごします。望遠鏡も何もなくても、天の川や惑星、流れ星も見ることが出来ます。夜にはいろんな鳥や動物、虫たちの声が聞こえ、自然の美しさを一身で感じることが出来ます。
南の海岸の駐車場近くはマングローブ林になっています。
SUPやカヤックなどのレンタル・ツアーとBBQ用具レンタル(北のホテル側ではBBQ食べ放題)もあります。
人出はそれほど多くなく、1日ゆったりと過ごせます。
クラゲ防止ネット
海開き後は、底地ビーチの北と南の2か所にクラゲ防止ネットが張られます。沖縄の海はどこでもそうですが、ネットの外では、ウェットスーツなどで防御しないとハブクラゲに刺される危険があります。ハブクラゲは5月~10月に発生するクラゲで、傘は透明で10~15cmほどですが、触手は約1.5mにもなり毒があります。過去には触手に触れたことで、死亡例があります。刺された場所は激痛があり、6時間でミミズ腫れ、12時間で壊死を引き起こします。重症となると意識障害や呼吸困難、心停止に至ることもあります。底地ビーチには応急処置用の”お酢”も用意されていますので、お酢をかけて医療機関に連絡してください。近くにビーチの管理者がいるときは、すぐに援助を求めてください。
カツオノエボシなどに刺された時は、お酢をかけることは逆効果になります。要注意です。
アクセス
駐車場は北の「石垣シーサイドホテル」と南側の市営駐車場の2か所です。
ホテル駐車場はホテル利用者専用です。南側無料駐車場は100台ほど止められます。
入場無料で FreeWifiもあります。
営業時間はおおむね9:00~18:00です。
北のシュノーケリングツアー・バギーツアー・ウェイクボード・バナナボード・カヤック・シュノーケルレンタル・BBQ食べ放題の問い合わせは、石垣シーサイドホテルへ、 TEL:0980-88-2421
南のSUP・カヤック・BBQ等の問い合わせは、管理者のValueCreationへTEL:0980-83-4374へ
底地御嶽(スクジオン)
ビーチの南北中央あたりに鳥居があります。建物は見当たりません。ここは底地御嶽といい、神社ではないので、立ち入らないように気を付けてください。<地図>
川平には、浜崎御嶽⇒赤イロ目宮鳥御嶽⇒山川御嶽⇒群星御嶽と川平四嶽と呼ばれる御嶽があり、それらは一直線に並んでいます。さらに、その延長線上にこの「底地御嶽」があります。川平四嶽にはそれぞれお堂がありますが、底地御嶽には香炉があるだけで、建物はありません。
そして、所属する氏子もいません。ここはニライカナイの神を送る節祭りの最後の願い場所になっています。
仲間満慶山英極(なかまみつけいまえいきょく)の墓
底地ビーチの東端の断崖に仲間満慶山英極の墓があります。<地図>
「仲間満慶山英極」(1467年~1500年?)は、八重山で群雄割拠していた時代15世紀末の川平の豪族で、川平に館があったそうです。同じころ、石垣島の大浜では「オヤケアカハチ」の勢力が強大化しつつある時代で、琉球王朝軍から命を受けた宮古島の仲宗根豊見親が圧力をかけている時代でした。オヤケアカハチは仲間満慶山に助けを求めたものの仲間満慶山はそれを断わったため、オヤケアカハチは仲間満慶山を、罠にかけて殺してしまいました。仲間満慶山は強大な力を持った首里王府との戦いにより、多くの島民の命を巻き込むことを躊躇したものと伝えられています。仲間満慶山は平家の末裔ともいわれ、文武に優れた人物だとの言い伝えがあり、川平では英雄と慕われています。今も、毎年9月には川平小中学校のグランドで「満慶(みつけー)まつり」が行われています。ミュージシャンも参加します。