Fuyuです。今回は石垣島の中心街にある「美崎御嶽(ミシャギオン)」を訪ねてみました。
航海安全を祈願する御嶽です。<地図>
歴史
西暦1500年のオヤケアカハチの乱の際に、この地を治めていた長田大主(ナアタ ウフシュ)が、アカハチを謀殺しようとしたことが露見して石垣島を追われ、西表島に逃げていました。長田大主の王府への懸命の訴えが功を奏して琉球王府の軍が石垣島に差し向けられたため、それに乗じて西表島から小舟に乗って石垣島に戻っていました。
勇猛で知られたオヤケアカハチ軍も王府軍の多勢には勝てず、呪術合戦にも負けて追い詰められ、長田大主に討ち取られました。
美崎御嶽は、長田大主の二人の妹のうちの一人「真乙姥(マイツバ)」が、琉球王府軍が戦勝後、事故なく那覇に帰り着くことを祈り続けた地、美崎山の聖地です。その結果、祈りが通じて琉球王府軍は一兵欠けることなく本島に帰還しました。その功績により真乙姥は、琉球王府より初代永良比金(イランビンガニ)という神職を授けられました。これ以降、八重山の神女は琉球の神女組織に組み入れられました。真乙姥はその後も尊敬を集め、その墓地は真乙姥御嶽として信仰を集めています。
美崎御嶽
美崎御嶽は1956年に琉球政府により有形文化財に指定されました。現在は県指定有形文化財(史跡と建造物の二重指定)です。
この御嶽は、八重山の蔵元(政庁)が管理する公儀御嶽(クギィオン)とされており、石垣島では最も高い神格の御嶽です。琉球王府から派遣された役人が着任・離任の際に拝されました。
拝殿
イビ門
左が美崎御嶽のイビ門。右の門は旧真泊御嶽のイビ門です。大浜信泉記念館近くの真泊御嶽(マドゥマリィオン)を明治35年の道路工事の際に移築したものですが、御嶽は元の場所に戻されました。イビ門はその後も美崎御嶽境内に残されました。石門の上には宝珠が乗せられています。
蔵元の火の神(クラヌビィナカン)
美崎御嶽の左手手前にあります。八重山の蔵元が竹富島に1524年創設されたときに同地に建立され、蔵元が石垣島に移設された際に同じく石垣島に移築されました。八重山博物館等の一帯にありましたが、1953年の土地区画整理事業で美崎御嶽の境内に移転しました。
ユーヌ火の神
美崎御嶽の左手にあります。
ご注意
拝殿裏のイビ門・石垣より中は、特定の神人のみ入ることのできる特別な神域です。一般人は立ち入りできません。厳にご注意ください。