石垣島の史跡案内 元海底電線陸揚室・電信屋

石垣島の史跡案内 元海底電線陸揚室・電信屋

Fuyuです。今、石垣島の川平の少しだけ南、屋良部半島にいます。半島の御神崎(うがんざき)灯台の次は、まっすぐ南におりて、突き当たり、「電信屋(でんしんやー)」に行きました。日清、日露、第二次大戦の戦争遺跡です。<地図

電信屋

 

半島の周回道路から外れて牧場の中の道に入ります。

途中の牧場は典型的なカルスト地形ですね。石灰岩の露岩があちこちに見えます。地下に鍾乳洞とかないのかしらん。きっとあるんでしょうね。

しばらく牧草地の中のでこぼこ道を走るとすぐに「電信屋」にたどり着きます。

分厚いコンクリート造りが不釣り合いな小屋が一棟建っています。壁にはたくさんの弾痕が見えます。

「電信屋(でんしんやー)」の現在の名は「元海底電線陸揚室」です。日清戦争が終わり、下関条約で台湾を割譲された1895年(明治28年)、台湾との間に軍用海底ケーブルを敷設し、翌々年1897年(明治30年)鹿児島から石垣島を経由して台湾を繋ぎました。この時の中継施設の一つがこの建物です。当時は陸軍省の所属です。日露戦争の際にバルチック艦隊が通過するのを目撃した宮古島の漁民が、必死に石垣島まで船をこぎ、東京の連合艦隊司令部に急報したのは、この施設があったからです。

海底ケーブルはのちに逓信省に移管され、一般公衆通信にも使用されるようになりました。

第二次世界大戦になり、電信屋はアメリカ軍の攻撃目標となり、艦砲射撃や航空機からの爆撃を受けました。今も大量の弾痕が残っています

通信に関する歴史的遺産であるとともに、戦争遺跡としても大変貴重な遺産です。今は、建物の劣化が激しく、危険なため近寄れないようになっています。

電信屋裏ビーチ

 

電信屋の裏はきれいな砂浜です。名蔵湾の北の端にあたります。透明な海と光り輝く砂浜。だれもいないし、掃除されてないから外国から流れ着いたペットボトルとか少しはあるけど、でも絶景です。

ほんっときれいです。足元を石ころがころころ歩いてる……(。´・ω・)ん? 貝殻が歩いてるのか? え? ちいさいやどかりが足元にいっぱいいました。しばらくしゃがんで見ていました。

ここで泳ぐのは危険です。流れが速いし、サメに襲われた人もいるし、ハブクラゲもいるからとっても危ないです。でも、海岸でくつろぐのは最高です。

 

アクセス

島の周回道路の崎枝を左折して「御神崎」に向かいます。この半島の周回道路をさらに足を延ばして御神崎から南に走り、突き当たったところが「電信屋」です。周辺は風光明媚です。車の運転中、景色に見とれすぎないよう、十分にご注意ください。

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