石垣島の歴史 オヤケアカハチ

Fuyuです。石垣島の歴史に触れると、いたるところでオヤケアカハチという名前に行き当たります。避けて通れないこの名前について、調べてみました。

オヤケアカハチ(遠弥計赤蜂/於屋計赤蜂)は15世紀末の石垣島・大浜の酋長です。生まれは波照間島。波照間島に生誕記念碑があります。漂着したオランダ船の乗員と島の加屋本家の娘との間のハーフ説なんていうものもあります。髪は赤茶けて日本人ばなれのした体格、精悍な顔つきという言い伝えから、可能性はあるかもしれません。妻は石垣村の長田大主(ナアタウフシュ)の妹の古市(古乙姥/クイツバ)です。

地図

仲宗根豊見親(ナカソネトゥユミャ)の率いる宮古は15世紀に入って琉球王府の朝貢国となりました。そして、八重山にも琉球王府に従うことを求め、八重山は琉球に朝貢するようになりました。しかし、1486年(文明18年)中山の尚真王は、石垣の土着神である「イリキヤアマリ神 (火食の神)」の祭祀を淫祠邪教(いんしじゃきょう)として禁止したため、1500年にオヤケアカハチが島民とともに立ち上がります。

大浜火食の神御嶽地図

中山への朝貢を止め、さらには琉球王府に従う宮古を攻めたため、1500年(明応9年)2月13日に、沖縄本島、久米島、宮古島から兵を集めた、琉球軍の軍船大小100艘、琉球兵3,000人に西表島の長田大主も加わり、攻め込まれました。オヤケアカハチは奮闘したものの衆寡敵ぜず、長田大主に討ち取られてしまいます。この戦功により、仲宗根豊見親は琉球王府から宮古の頭職を与えられました。これ以降栄華を誇った琉球王朝も、約百年後の1609年、琉球は薩摩軍の支配下となりました。

 

イシキヤアマリの神行事

 

イシキヤアマリの神行事は、女性が中心で、神前にご馳走を捧げ、願い事が終わるとツカサ(司)たちは裸になり榊をもって、神歌を歌いながら踊ります。琉球王府に敗れた後は、この行事は禁止され、御嶽信仰となりました。

 

フルスト原遺跡

 

大浜の北方にアカハチの城館があって、ここで琉球王府に抵抗したのではないかといわれていました。しかし、近年行われた発掘調査では、軍事施設であったという裏付けは取れなかったようです。

<フルスト原遺跡地図>

大浜・オヤケアカハチ像

大浜公民館近くに「オヤケアカハチ像」があり、像の背後には「火の神御嶽」があります。

<オヤケアカハチ像地図

同じ道の並びに4つ並んでいる御嶽のうちの一つです。それぞれきれいに管理されています。

大浜火の神御嶽は、村役人が常駐していた番所の跡地なのですが、番所が廃止された後、火の神を遷座して、昔通りの祭祀を続けています。

仲間満慶山(ナカマミツケーマ)

15世紀末の石垣島北西部の川平を治めた豪族です。平家の落人の子孫との言い伝えがあります。

1500年のオヤケアカハチの乱では、アカハチに招かれ真栄里まで出向き、挙兵を呼びかけられましたが、断りました。満慶山は馬に乗って一人で帰途に着く途中、「オヤケアカハチ」の仕掛けた落とし穴にかかり、襲われて殺されました。

満慶山は、同じ平家の末裔と言われる西表島祖納の「慶来慶田城用緒」とともに、宮古島の仲宗根豊見親側に立ったものと考えられています。

長田大主

長田大主とオヤケアカハチは同じ波照間島の生まれで、幼馴染といわれています。長田大主は仲宗根豊見親の子といわれ、琉球王朝と結んだ宮古島の仲宗根豊見親と、西表島祖納の慶来慶田城(ケライケダグスク)とともに八重山へも圧力を強めていたようです。

その長田大主は、石垣・登野城・大川・新川を支配していましたが、オヤケアカハチの乱のころには、アカハチの勢力が強大化し、追い詰められて、西表島に逃げていました。妹である古乙姥(クイツバ)をアカハチに嫁がせていたのですが、古乙姥の口から長田大主のたくらみが露見してしまったからです。

古乙姥は、夫オヤケアカハチに従って反抗したので、乱の後に処刑されました。

美崎御嶽

こちらはオヤケアカハチと戦った沖縄本島につながる側の聖地です。琉球の戦いでは、最初は双方のノロ・ツカサが、呪詛を掛け合うところから始まります。

美崎御嶽地図

美崎御嶽は、戦乱ののち琉球王府の軍勢が本島に帰る時、長田大主の妹、真乙姥(マイツバ=古乙姥の姉)とが断食をして琉球王府軍の無事の凱旋を祈願したところです。その結果、軍勢は一人も欠けることなく、無事に帰還したそうです。後日、真乙姥は王府に呼ばれ最高神職「大阿母(ウフアム)」に任命されます。

大変強力なパワースポットです。観光客の方は、間違っても奥の石組みの中(イビ)に近寄ることの無いよう、厳にお気を付けください。

今では、「航海安全の神」として崇敬されています。

イベント

2020年は行われなかったかと思いますが、2019年までは毎年、4月のある日、夕方から大浜の崎原公園で「アカハチ祭り」が行われています。2019年は4月13日(土)でした。大浜公民館の主催です。

オヤケアカハチの像がある場所が祭りの会場になって、屋台なども出ます。舞台では、子供の獅子舞や舞踊なども行われます。

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