石垣島の史跡案内 宮良殿内

石垣島の史跡案内 宮良殿内

Fuyuです。離島ターミナル近くの「宮良殿内(みやらどぅんち)」に行ってきました。<地図

一度は火曜日に伺ったのですが、この日は「参観お休み」ということで (^^)/出直しました。

見た目、宮良殿内は町中にたくさんある古い民家の一つという雰囲気なのですが、これがなんと重要文化財です。ついでに言うと、宮良殿内の庭は国指定名勝です。

建物の名称「宮良殿内」に(みやらどぅんち)とフリガナを付けていますが、石垣島の言葉だと(めーらどぅぬず)となるようです。琉球の中でも本島地方と八重山ではかなり言葉が違います。

宮良殿内の説明

 

琉球王国時代、八重山地方は3つの行政区に分けられていました。宮良間切、大浜間切、石垣間切の3つですが、それぞれの間切の頭(かしら)の私邸が「殿内」です。つまり「宮良殿内」は、石垣島、宮良間切の頭職(八重山頭職)の私邸のことを言うわけです。間切の頭職とは、今でいえば市長のような職位です。建てられたのはおよそ1819年(文政2年)ごろとみられ、築後200年になります。

建物の様式は首里王府により厳しく決められていて、この建物は首里士族層の建築様式だそうです。ところが、八重山の頭職である住人には分不相応であるとして5回にわたって取り壊しを命ぜられたが従いませんでした。とうとう1875年(明治8年)、譴責により茅葺に葺き替えを命じられました。しかし、廃藩置県後1899年(明治32年)に再び瓦葺に戻されています。数多く残された古文書は琉球大学に寄贈され、今も保管されています。

第二次世界大戦の際、沖縄本島では地上戦が行われたため、古来の建造物が残されていませんが、地上戦のなかった石垣島では貴重な建造物が残されました。宮良殿内は琉球政府発足後、1956年(昭和31年)に琉球政府指定重要文化財に指定されました。琉球の士族建築としては唯一の重文指定です。

この住宅は現在でもご子孫の方が住居として使用されているため、参観できるのは建物外観と庭園のみです。

宮良殿内

 

門を入ると、石垣島では普通の仕切り塀(ヒンプン)があって、屋敷の中への視線を防いでいます。一般参観者はヒンプンの左を回って敷地に入りますけれど、本来の来客は右から入り、玄関に上がります。ただ、ここのヒンプンの中央には扉があって、特別な行事にのみ使われたそうです。

庭園

参観者は建物に上がらず、建物右側の庭園のほうに案内されます。こちらは石灰岩の石組みで構築した枯山水庭園です。築山があり、石橋も架かる本格的庭園で、国の名勝に指定されています。使われている石が内地とは異なるせいか、あるいは植物が異なるせいか、雰囲気は異なります。

石垣市字大川178

公開:9:00~17:00 火曜・年末年始定休

入館料:200円 駐車場はありません。

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