石垣島の美術館・博物館 八重山平和祈念館

石垣島の美術館・博物館 八重山平和祈念館

Fuyuです。八重山平和祈念館(沖縄県平和祈念資料館分館)に行ってきました。向かいには具志堅用高記念館があります。(^^)/<地図>

館内写真撮影禁止なので、館内の写真はお見せ出来ません。

八重山平和祈念館は「戦争マラリア」を後世に伝えるための施設ということで、内容は施設名から受けるイメージとはだいぶ違います。石垣島は沖縄本島などと異なり、上陸戦はなかったのですが、米軍艦船による艦砲射撃や航空爆撃から住民を逃すため、そして、その先に予想される上陸戦に備えるために、八重山の住民を海沿いの人口密集地から山間部に移動させ、被害を軽減させようとしました。その結果、当時人が住まなかったマラリアの有病地帯への疎開が行われ、館資料によれば避難者は31,000名、うちマラリア罹患者は避難民の半数の16,000名。死亡者は3,600名と、避難者の1割を超える人々が亡くなったということです。これらの事実を「戦争マラリア」と呼んでいるようです。

当時のマラリア有病地帯とは、石垣島の南部を除く大半、小浜島、西表島、与那国島で、その他の島(竹富島、黒島、新城島、波照間島)にはマラリアはなかったそうです。もともとこの地にマラリアがあったわけではなく、200~300年前に東南アジアからの交易に伴ってマラリア原虫が持ち込まれ広まったと考えられています。戦後、徹底した駆除が行われ、マラリアは根絶されました。

目次

展示

展示は、太平洋戦争全般の日本側資料や、切手、貨幣、新聞など八重山の実物展示、当時の書類の展示などです。このような展示施設によくあるような、稚拙なそして、残酷さを強調した人形や絵などの展示もあり、これらには抵抗を感じますが、知っておくべき八重山の歴史だと感じます。

バンナ公園南口<八重山戦争マラリア犠牲者慰霊の碑><地図>


私の家も太平洋戦争の際には、父親はインドシナ半島より、戦友をたくさん失いながら帰ってきました。親戚にはシベリアに抑留されたのち、担架に乗せられ帰ってきたおじ、満州から引き上げる途中の朝鮮半島で、娘(私の従妹)を奪われ泣く泣く親だけで帰ってきたおばなど、数多くの傷を負いました。しかし、八重山のことについては、あまりに知識がなさすぎたということにいまさら気が付きました。私は「戦争マラリア」について、何も知りませんでした。(-_-;)

沖縄本島のような激烈な戦闘が行われたところもあれば、静かにたくさんの人命が失われていった、八重山のような地域もあるということを、忘れてはいけないと感じました。

〒907-0014 石垣市新栄町79-3

TEL: 0980-88-6161

開館時間:9:00~17:00

休館日:毎週月曜日 年末年始

入館料:大人1人100円

バス路線:東バス 八重山病院線 バスターミナル発 八重山平和祈念館下車

概ね1時間20分に1便 初便7:40より最終15:20

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